辛い時にこそ読みたい名言「不自由を常と思えば不足なし。」(徳川家康)

 

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 

これは徳川家康の遺訓です

徳川家康といえば戦国時代を終わらせ、天下統一を成し遂げた人物です、しかしその道のりには何度もどん底の時代がありました。

そこから得た「不自由を常と思えば不足なし。」という言葉を支えに将来を見て少しづつでも進んでいたのです

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不自由を常と思えば不足なし

徳川家康の人生を簡単に振り返ると、3つのどん底の時期があります

1.人質時代

幼少期から青年時代まで織田家、今川家で人質生活を送ります、人質生活というのは状況次第ではいつ命がなくなってもおかしくない生活です、これを徳川家康は6歳から19歳という実に13年間も送っています

2.織田信長の時代

今川家から独立した後は独力で家を存続させることは不可能であったため織田家と同盟を結びます、しかし同盟とはいっても力関係により実質は織田家に臣従することになります

織田家のために何度も徳川軍を出兵し尽くします、更に力関係に抗うことが出来ない家康は織田信長の命令により妻子(正室・築山殿、長男・信康)をやむなく死に追いやることもありました

家康は後年、自身の無力さから信康を死なせてしまったことを「父子の仲平ならざりし」と何度も後悔しています

3.豊臣秀吉の時代

豊臣秀吉の時代になると小牧・長久手の戦いで秀吉に勝利をし、一定の地盤は固めました

しかし、秀吉の全盛期には家老・石川数正が秀吉側に寝返り、領土拡張のための真田攻めも秀吉の命令により出来なくり

そしてそれまで精魂を込めて育ててきた地盤である東海地方から全くなじみのない関東地方へ移るように秀吉に命令され、天下人となった秀吉の圧力の前に政治的、軍事的行動はほぼ出来なくなります

こう振り返ると家康が思い通りに振舞えた時期はほんとうに少なく思えます、いつ命がとられるかもしれない生命の危機の時期もあり、苦しい状況の時期をすごしています

「不自由を常と思えば不足なし。」

考えれば人生には制約が付いて回ります

そして更に、もうダメだ、将来の展望もひらけないと思う時すらあります

それでも不自由ななかでも、出来ることを行い、良いことは見つかります、世の中にはあなたより悲惨な状況の人もたくさんいます

コツコツと出来ることをやる、今の状況で良いことを大事にする

そしてやがて時間が経てば必ずその傷はいやされます、振り返ればそんな時もあったなと思える時が来ると徳川家康の言葉が教えてくれています

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