経営者、上司になったら知っておきたい徳川家康の名言

 

徳川幕府初代将軍。

天文11年(1542)生まれ。

岡崎城主松平広忠の長男。幼名は竹千代、のち元信・元康、院号を安国院、諡号は東照大権現。

6才の時織田・今川の人質となるが桶狭間の戦で岡崎にもどり、織田信長と同盟を結び勢力を拡大、本能寺の変で織田信長没後は豊臣秀吉と対立するが和睦し、秀吉の天下統一に協力するし、天正18年(1590)江戸にうつる。

豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦で石田三成を破り対抗勢力を一掃し、慶長8年(1603)征夷大将軍となる。

大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、天下を確実なものにし幕府の基礎を固めた。

元和2年(1616)歿、75才。

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徳川家康の名言

 

愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。

多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。

得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。

世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。

人は負けることを知りて、人より勝れり。

平氏を亡ぼす者は平氏なり。
鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。

いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。

およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。

滅びる原因は、自らの内にある。

あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。
これが秘伝である。

多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。
また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。

怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。

勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。

決断は、実のところそんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。

いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。

人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

己を責めて、人を責むるな。

重荷が人をつくるのじゃぞ。
身軽足軽では人は出来ぬ。

一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。

我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ。

最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。

大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。

願いが正しければ、時至れば必ず成就する。

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