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中島敦「弟子」の子路、「柴や、それ帰らん。由や死なん。」

難を逃れんが為に節を変ずるような、俺は、そんな人間じゃない。

子路は乱暴にして武勇を好み、馬鹿正直でとにかく学問より剣を振り回す方が大好きな人物でした。

そんな学問とは無縁の道を進んでいた子路はある出来事から孔子に弟子入りします、弟子入りしてからの子路は熱心に学び、またとにかく正直なので納得できないことには師匠の孔子に意見をします。

やがて子路は孔門十哲の一人として、政事に優れた人物として、孔子の信頼も篤い門下の高弟として有名になります。

孔子と子路は師匠と弟子としてお互いに硬い信頼がありましたが、どうしても子路には孔子と相容れない部分があり、心の奥底、深い所に広い川の隔たりのよう横たわっていました

そう孔子の説く言葉に99.999%の信頼を置きながら子路はどうしても孔子の教えに心の底から納得できない1点が、子路の人としての根本のところで、譲れない信条がありました

結局この世で最も大切なことは、一身の安全を計ることに在るのか?。

身を捨てて義を成すことの中にはないのであろうか?

そして子路はその譲れない信条のために非業の死を迎えます。

(中島敦 弟子 短編 読了30分)

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「弟子」中島敦

游俠の徒として生きてきた青年、子路

孔子と子路の対面

魯の卞の游俠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。

似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭突鬢・垂冠・短後の衣という服装で、左手に雄雞、右手に牡豚を引提げ、勢猛に、孔丘が家を指して出掛ける。

游俠の徒であった青年、子路が近頃賢人として世間に広まりつつある孔子の噂を聞き、このエセ賢者を懲らしめてやろうと奇抜な格好をして、

左手に鶏、右手に豚を引っ下げて孔子の家、つまり孔子が儒学を弟子たちに教えてる教室に乗り込むところからはじまります。

鶏、豚にけたたましい鳴き声を出させ驚かせながら乗り込んだ子路は孔子を懲らしめてやろうと論争で挑みます。

(今の時代で言うなら大音量で音楽を流しながら、棒を振り回して他人の家に突入するようなものでしょうか)

「学、 豈、 益 あら ん や。」

子路の言いたい事はこうです、学問なんて意味ない!やる必要はない!と孔子にくってかかります。

そんな子路の学問不要論に、孔子は順々と学問の必要性を説いて聞かせました

子路は単純で幼稚な面もあるため、どんどん論破されて苦しくなりましたが、それでも最後にとっておきの論として以下を孔子に投げかけます

南山の竹は揉めずして自ら直く、斬ってこれを用うれば犀革の厚きをも通すと聞いている。

して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?

南山に生えている竹は自らまっすぐに生え、これを切ってきて使えば動物の皮も貫きとおせるぞ、元から素晴らしい者には学問は必要ない!と主張します

それに対する孔子の答えは

汝の云うその南山の竹に矢の羽をつけ鏃(やじり)を付けてこれを礪(みが)いたならば、ただに犀革を通すのみではあるまい

子路はもう返す言葉もなく窮し、ただ立ちすくみしばらく考え込みました

そして、自分も孔子の下で教えを受けたいと頭を垂れた。

街のゴロツキだった子路ですが、一旦孔子の門下に入り学び始めると、めきめきと頭角を現し、塾頭各になります。

そして、現実の政治でも辣腕を振るう孔子門下の頼れる存在になります。

それでも尚、埋まらぬ溝、孔子に対する一点の疑問を抱き続ける子路の心理が描写され、

最後には「保身か正義かの選択」において孔子と相容れない部分のために非業の死を遂げます

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中島敦の本

中島敦は好きな作家です。「山月記」「李陵」「悟浄歎異」など作品を読んできました。

内向的な主人公の視点が多い中で、「弟子」の子路は行動的な主人公の視点で珍しいと思います。

読後に最も心動かされる作品です、ふと思い出し何度も読んでます、もうこの本に出合って10回以上は読み返しています。

端的に言えば、今まで読んだ小説の中で最も好きな作品です。

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